あるようで、無い自分

オレたちは

一体

ナニ者なんだ?

本当の自分なんて

あるようで

無いんだと思う。

他人はよく、自分以外の人をあーだこーだと、自分勝手なフィルターや物差しで計るが、おまえのフィルターってどんだけ整合性があって、そんなに当たんのか?って思う。

そもそも、他人の人生を言い当てることができるなら、そのインチキ予言者みたい人たちもハズレ券ばっか当ててないで、自分の人生の万馬券を当てたらいいのに、って思う。

人の見方って、ある意味冷酷で、関わる人のメリットとデメリットによって見え方が変わる。自分に何かしらのメリットやデメリットを感じてるうちは綺麗事を言いまくり、おべっかしまくる。

で、メリットが得られないと感じた瞬間から、洗脳され続けた犠牲者マインドと被害者意識が浮上してきて、手のひらを返したように今までと違うことを言い始める。

この時点ですでに人間としてかなり残念なやつ。そして、そこに群がる輩も必ずいて、同じ穴の同居人として互いに励まし合うんだよ、これが。笑

ある人は、オレを怖い人で、嘘つきで、女癖が悪い人と勝手に言う。

ある人は、オレを愛ある人で、言ったことを必ず実行する人で、本物で、認めた女性以外は近くに寄せ付けない固い人とも勝手に言う。

あと、今だに裏社会と交流があって、足を洗いきれていない、と勝手に言ってるクソバカもいる。

正直どっちでもいいが、

ま、言いたいやつには勝手に言わせておけばいい。

そうでしょ?

誰もがそうだが、紛れのない真実があるとしたら今まで自分の積み重ねてきたことのみだし、今後も今まで以上に積み上げることのできる人間だと自分でわかってるし、誠実にお付き合いさせていただく人たちも誰かちゃんとわかってるし、適当に付き合えばいい人たちもどういう人たちかわかってる。

ビジネスでもプライベートでもどんな人たちと組めばいいかもわかったし、どんなやつらと組まないようにすればいいかもわかった。

本音や本心を言える人たちも誰かわかってるし、余計なこと以外は一切、言わない人や言えない人たちも誰かわかってる。

そもそも、他人の勝手な期待や依存、そいつの私利私欲のフィルターや物差しで計られ、その見方によってオレたちという存在が誰かにとっての善にも悪にも変わるワケだから。

だから自分の存在が本当に善か悪かを証明することはある意味浪費で、無様で無駄なあがきでしかないワケだよ。

でも、オレたち自身は知ってる。

どれも一応は自分だけど、

どれも本当は違うんだと。

だから、友人や知人や身内や誰であっても、自分をよくわかっていない人たちに勝手に評価や心配をされ、勝手に理想像を創られようが、その中に本当の自分なんてものは見えないし、そこに答えようとしたところでそれはオレたちの為にはならない。

時間とエネルギーの無駄。

「誰の中にも本当のオレたちは存在しない」ということは覚えておくべきだ。

だって、自分の本当の姿は、成りたい自分を粗大なことから繊細、微細なことまで、心からしたいことを選び続けた結果で完成し続ける。だから、演じる必要も役に成りきる必要もない。意図的にやれば、無理に頑張っちゃってる感が生じるだけ。

ただ純粋に成りたい自分を選び続ければいいだけで。

オレは成りたい自分を選び続けて今があるだけ。

そんなこんなで、アンビリバボーでディレクターをしていた方が一年近くオレの活動に密着してくれたゆるいドキュメンタリーがリリースされたようです。笑

シェアさせてください。

世間はGWの真っ最中で忙しいと思うので、
時間があるときにでもぜひ。

GW中は混雑するから

運転とか移動とかにはくれぐれも気をつけてよ。

ドキュメント。
「加藤は何者?」

今後も更に

自分のライフスタイルや生命の全エネルギを通して

人財育成という天職にむちゃくちゃ熱く生きていく。

今日も心から

愛と感謝を込めて。

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