生き様ってただのかっこつけ

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思えば、今まで本当にたくさんの人と出会ってきたが、おれの記憶に残る人っていうのは決まってみんなカッコのつけ方を知ってる人だった。

おれがまだヤンチャボウズで施設を出所したばかりの頃、そうだな?14とか15のときかな。強烈に惹かれた人がいた。

その人は普段、口も素行も態度もスペシャルが付くほど自由奔放で天の邪鬼だった。

いつもギラギラしてて、なんていうか、こう、触れたら斬れてしまう刃物のような人だが、仲間に何かあったときは必ず先頭に立って、体を張ってでも仲間を守る人だった。

親もいない、帰る家もない、どこも雇ってくれない、そんな問題児のガキンチョたちばかり。

みんながプーで一文無しのときも、自分も金がないのに、おれたちに黙って新聞配達して稼いだ金で、何食わぬ顔をしておれたちガキンチョに飯を食わせてくれたり、みんなが日常茶飯事のように起こすトラブルも、何食わぬ顔をして自らが一番辛い役回りを引き受けて、無理しても突っ込んでいく人だった。

いまだから、わかること


その人は、誰もが引きたくないクジ、みんなが引けないクジを、

「おれは引くよ」

と言って躊躇なく引く人だった。

ガキンチョたちもおれも、この人には絶対勝てないし!勝てるやつは誰もいない、と本気で思ってた。

だから自ら「何でもやらせてください!」って気持ちだった。

なぜか?いま考えると、答えは単純だった。

ガキはガキなりに惹かれる生き様がその人にはあったから。言ってしまえば、ただのカッコつけ。みすぼらしく生き残るなら、カッコつけて死んでやる。それがおれの生き様なんだと言わんばかりの人だった。

おれはそのときガキンチョすぎて理解できんかったが、今ならわかる。

世の中、

仲間を大事にします!
家族を大事にします!
恋人を大事にします!
社員やお客さんを大事にします!

って豪語してる人や、綺麗事とか、自慢話とか、豪邸に住んでるとか、高級車とか、海外にオフィスとか、自分の成り上りぶりを矢沢永ちゃんと重ねて語ってるとか、それを含めたキモい人、笑

たくさんいる。

だが、なぜかそう言うおっさん達にまったく惹かれない。ゼロ。皆無。

どうしてなのか?

それは、結局そいつは会社や社員を自分のコンプレックス解消の道具としか見てなくて、自分や家族の幸せぶりをアピールしたいだけだから。綺麗な言葉を使ってはいるが、おれからすればただの自慢話や力の欲求の見せつけに過ぎない。

「生き様」ってなんなのか?


要は、ただの口八丁ヤロウで成金。とにかくキモい。笑

でも、本当にカッコいい人の生き様ってのは、実際にやってることのカッコよさなんだよな。歌、アート、スポーツ、ビジネス、社会貢献、どんな世界にいても自分の生き様がある人。

顔がカッコいいとか、口がうまいとか、お金が持ってるとか、そういうことじゃない。

確かにそういうものも魅力の1つかもしれんけど、結局、生き様がないヤツは何をしててもカッコよくねえんだよね。本当のカッコよさの根本って、やっぱり生き様で。

それは、言葉で何を言ってるか?じゃなくて、実際に実行していること。

それが自分の譲れないことで、誰かのためになるなら、どんな辛いことでも無謀なことでも突っ込んでいく。

そこに生き様を感じるんだ、人は。

でも、それはみんなのためっていうのもあるけど、本当はただ自分がカッコつけたいだけで。自分が損しても、何かを失ったとしても、そこまでカッコつけ通した人に生き様のgodが宿りはじめる。

ある意味、自己満で自分に何の得にもならんこともあるかもしれない。

でも、その生き様に人は惹かれ、ついていきたい!ってなる。

金で集めた奴には金で離れていく輩がつく。
生き様がない奴には生き様がない輩が集まる。

実際、仲間を大事にするって口でいうのは簡単だが、そんな容易いことじゃない。

マンガ、ワンピースに多くの人が惹かれていく理由の一つは、ルフィに生き様があるからだろ?

仲間のために、目の前の人の為に、体はって命懸けて生き様を貫き通しているからだろ。

親が我慢して子どもに与える、仲間の為に自分が身を削る、それは全部もしかしたらただのやせ我慢で美徳で調子こみヤロウの自己満な行動かもしれない。

だが、こういった行動を苦痛でやってるか?と言われれば、そうじゃないんだよ。やってる本人はやりたくてやってんだよ。そこまでしてカッコつけてえだけなんだよね。

「自己愛の究極」それは…


おれは思うんだ、誰だって生き様を貫くことはできる。誰だってね。

じゃ、その生き様はどこから生まれるのか?って言えば、やっぱり行き着くとこは「愛」なんだよ。

自分が命を削ってまで、身を削ってまで成したいことがある、貫きたい生き様がある、カッコつけてえってのは、自分を心から愛しているから生まれてくる衝動なんだ。

どうして自分を愛してるのに、自分を犠牲にするんだ??って思う人もいるかもしれないけど、それは違うんだ。

自分を犠牲にしてまで貫きたいものがあるっていうのは、自己愛の究極なんだぜ。

命は確かに大切だよ。

だけどさ、本当に大切なのは命そのものじゃなく、命をかけたいと思える「何か」じゃねえかな。

だから、生き様っていうのは自己愛の表現なの。

親が自分を犠牲にしてまで子どもを守るのは、自分を愛しているから。
リーダーが自分が傷ついても仲間を守るのは、自分を愛しているから。

親が自分を愛せてねえから、子どもに虐待したり育児放棄してしまう。
リーダーが自分を愛せてえねから、仲間を責めたり責任転嫁してしまう。

自分をいつも責めたり自分の命を粗末に扱ってるから、他人も責めたり命を粗末に扱ってしまうんだ。

自己愛があるから、自分が傷ついてでも子どもや他人を徹底的に愛せるんだ。

貫くってのは、ときには自分が深く傷ついたり、場合によっては命を失うこともあるかもしれない。それを見て回りはバカだ、アホだ、自己犠牲だなんて言うかもしれない。

でも、それが生き様であり、カッコのつけ方なわけだ。

とことん!カッコつけて死んでいきたい


いま思えば、被災地支援を行なったのも同じだった。おれが被災地を支援できたのは、みなさんのおかげ。100%支援して下さった方のおかげだ。

でも、じゃあなぜおれにみなさんが支援してくれたのかって言えば、おれが自分の身を顧みなかったからだと思うんだよ。

東北の時も熊本の時も「震災2日後に現地に入るって中々できないことだ」って、みんな思ってくれたんだと思うんだ。

最初、いろんな人からあーだこーだ言われたよ。震災後すぐ、福島第一原発の付近に入った時も、まだ危険だから入らない方がいいとか、原発の影響で被爆してしまうぞ、とか。

確かにおれもちょっとは考えたよ。
その時に。

でも、おれはそれでいいと思った。

いつかは死ぬんだ、ならおれは死ぬ瞬間まで自分を高めてえし、もっとカッコよくなりてえ、とことんカッコつけて死んでいきたいって思ったから。

いま聞けば、失笑したり、大袈裟だよ!って思う人もいるだろうよ。でもな、あの震災直後で世界全体が原発付近に入るのは絶対ヤバイってのが世界の共通認識だった。

もっと言えば、震災後日本から他国に避難した人、東北から避難した人、関東から避難した人がどれだけいたか?

そんな状況の中、避難するどころか正義感気取ったバカは、敢えてそこに向かっていくんだから。笑

生存者がいるらしいけど、相手からの一方的なメール。自衛隊と連絡を取り合っても確実な情報がつかめない、電話は繋がらない、メールも返ってこない、ただ食料や水も全てのパイプラインが止まって1週間以上経過し、何百人が苦しんでるとのこと。最初は確かな情報として確認が取れなく困惑してた。

でも、その付近からSOSが届いてんだよ。じいちゃんもばあちゃんも子どもたちも腹が減った喉が渇いたって。

おれに行かない理由なんて無かった。

被災地で帰る場所を失った子ども達と出逢い、おれは少しでも東北の力になりたかったし、幼少期の自分と重なった子ども達を救いたかった。

もし、それで死んでしまったとしても、その瞬間に自分の生き様を貫き通していれば、それでいいと思ってる。

それがおれのくだらねえカッコつけで、自分の生き様なんだって。

アナタには自分を犠牲にしてまで守りたいものはあるかい?
カッコつけて墓場まで貫き通したいものがあるかい?

あるなら、もっと自分を愛せ!
ないなら、もっと自分を愛せ!

自分の全てを受け止め、愛して愛して愛し抜いて、ギブに生きる。不器用に無様に生き様をさらしていこうぜ。誰もやらねえからこそそういう人間が結果的に勝つんだよ。これからの時代は。

氣愛のアイラブミー!で。

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