感じるものは救われる

こんにちは。
加藤秀視です。
最近、激戦過ぎて毎日深夜帰り。というか……もはや朝帰り。
ここはどこ?俺はだれ?
目覚める度にそんな状態で始まる。
毎日ぶっ倒れるぐらい志事を楽しんでる(笑)
でも、こうやって自分を追い込むと、ゆっくり風呂に入ったりぐっすり寝れることが本当に幸せなんだなー、と改めて感じる。
これも、トコトン自分のやりたいことに熱中して楽しんでるから、そう感じることができるんだと思う。
もちろん逆も然りで、トコトン休めば働ける喜びや苦楽の重要性がよーーく身にしみて分かるものだったりする。
まさに、静と動の概念。
やるときゃトコトンやる。休むときもトコトン。
その両面を感じることが人にとって本当に大事なこと。
今日はちまたでよく聞くあの言葉について書きたいと思う。
性格の悪さを強調しながら。(笑)
大概の人が、一度はこの一節を見たことがあるんじゃないだろうか?
考え方が変われば、意識が変わる。
→意識が変われば、行動が変わる。
→行動が変われば、習慣が変わる。
→習慣が変われば、人格が変わる。
→人格が変われば、運命が変わる。
→運命が変われば、人生が変わる。

これだけ見れば、ごもっともなことが書いてある。
もちろん俺もその通りだと思う。
でも、これは結果論に過ぎない。
この答えたるものに多くの人が躍らされている。
全ての自己啓発はまさにこの一節の実現を目指していると言っても過言じゃないだろう。
だから、多くの人がここを目指す。
だがはっきり言えば、これは結果論として後から見れば正しいが、これから変わろうとする人からすればお門違いだ。
どういうことか?
別に人生を変えた人たちはここを目指していたわけじゃない。
人生を変えた人たちは人生を変えるために人格を変えたわけじゃないし、習慣を変えるために行動を変えてたわけでもない。
結果として変わってっただけ。
確かに、考え方が変われば行動も結果も変わるよ。
だが、そもそも考え方なんて変えようと思ってそんな簡単に変わるものじゃねえよ。
例えば、「ピンチはチャンス」って言葉。
確かにそう捉えれば、その時の行動も変わるだろうし、いい方向に向かおうと努力するだろう。
なぜなら、捉え方の質が前向きなら起きた出来事をそう見るからだ。
だが、いくら「ピンチはチャンス」なんて言われても、そう思えない人にとってはどこまでいっても「ピンチはピンチ」でしかねえだろうな。
そもそも、考え方なんてそんな簡単に変わらんから。
にもかかわらず、多くのエセ教師は「考え方やマインドが全てだ!」なんて唾とばしていい加減なことをほざいてる。
そんなことを自信満々なツラで言われれば、みんな考え方を変えたい!って思うだろし、結局どうやって変えるんだ??って答え探しをするんだろ。
意識だってそう。
そりゃあ、意識が変わればなんだって変わるよ。
そもそもこの社会自体が意識で創られてるんだからな。
チームも会社も組織も意識が変われば確かに変わるだろうが、じゃあどうやって変えんの?って話だろ。
結局は、答え探しが始まる。
行動だってそう。習慣だってそう。人格だってそう。運命も人生も。
どうやって変えんの?ってここも答え探し。
確かにこれらが変われば現実的に変わることはたくさんあるよ。
言ってることは確かに正論。
だが、これは全部結果論としてだろ?
理論としては正論かもしれないが、こんな型にハマって何かを目指したってうまくいかんぜ。
どうしてそんなに型にハメたがるのかなー?ハマりたがるのかなー?
こんなものは、いい子にしなきゃ立派な大人になれない、いい学校に行かなきゃ成功できない、大企業に入らなきゃ成功できない、って言ってる奴らと同じだろ。
この一節を一言で言えば、「考え方が変われば人生が変わる」って話だろ?
考え方って言うのは、今までの人生で培ってきた思考の習慣が染み付いてるから、はいワークやりました、セッションやりました、なんてのでは変わらんわけ。
考え方、っていうのは結局脳の神経回路の偏り。
脳の習慣なんだよね。
そんでそれって結局、ステージ2のマインドレベルなわけ。
多くの人がまだ知らないが、脳は全ての司令塔じゃないから。
脳をコントロールしてるのは、確実に想念だよ。
そして、その想念の源は自己愛であり、純粋意識なわけ。

だから、脳をコントロールして人生を変えよう!とか、脳に暗示をかけよう、潜在意識に刷り込もう!なんて啓発してる人は俺からすればドブぐらい浅いわけ。
言ってることは確かに正しいしごもっともの正論だが、一番重要な想念や自己愛のことがすっぽり抜け落ちてる。
脳とかマインドとか潜在意識なんて言ってるレベルでは人は変わらないから。
もっともっと深い領域、それは純粋意識なんだよ。
今回紹介した一節も「考え方が変われば~」というのがスタートになってるが、考え方がスタートじゃないぜ。
スタートは自己愛。想念の解放だ。
はっきり言うけど、行動変えるために、意識を変えるため、考え方を変えるためにわけわからんセミナー行っても人生なんて変わらんからな。
人生っていうのは自分を愛した結果として変わるだけで、人生を変えるために頑張っても人生は変わらんわけ。
変えるもんじゃないわけ。変わるもんなの。
じゃあどうやったら変わるかって言ったら、自分を愛して想念が解放されたら変わる。自然とね。
そうやって変わった後に振り返ってこの一節を読めば「ああ、確かにその通りだな」って思うだけ。

でも、それは結局想念が変わったから自分が変わっただけであって、結果論に過ぎないんだ。
だから俺は自己愛や想念が大事って言ってる。
俺がどうしてこんなに自己愛や想念のことを言ってるかって言うと、世の中の大半のセミナーや自己啓発なんて現実的には必要ないもんばかり。
成功できる!とか煽って結局は「ああしなさい」「こうしなさい」ってシステム的に枠にハメる教育ばっかだろ。
それって結局誰かや、一部の人にとっての都合の良い優等生とか生徒会長的な人を作る教育じゃねえの?
学校じゃねえのに。
そんなんでうまくいくはずねえだろ。どー考えても。
うまくいく人は最初から自己愛があって想念が解放されている人だけ。
言っとくが人は型にハマればハマるほど、システムにハマればハマるほど、どんどん自由を失い、情弱になってフォロワーになっていくからな?
よく分からんセミナーや◯◯メソッドなんて、全部型にハメるものばっか。
結局、そーいうのって一時的にモチベーション上げるだけで、根底の純粋意識から変革なんて起きねぇ。
今日からもやたらお祭り騒ぎのセミナーが始まってるみたいだが、そんなんは全部パフォーマンスでエンターテイメントだから。
モチベーション上げたいなら好きなアーティストのライブに行った方が何百倍もマシだ。
モチベーション上げるためにセミナーに行っても何の解決にもならんよ。
だから俺は大事なのは「自己の覚醒」だって言ってる。
究極俺が何をしたいか?
それはこの世から自己啓発をなくすこと。
だって、全ての人が真実を知り、自分を愛することができるようになれば、自己啓発なんて必要とされない。
みんなが自分を愛することができれば、自分で勝手に変わっていくだろ?
そしたら、自分の外に答えを探しにいく必要なんてどこにもなくなるから。
同志の存在や、コミュニティだけで十分だ。
家庭や学校とかで自己愛や想念の教育を当たり前にすれば、絶対そうなる。
自己愛が高まれば高まるほど、自分を成長させたい、活躍させたい、周りの人を幸せにしたい、この命を使いきりたい、って思えるようになるわけ。
俺だって、今でも自分のことをダメだなーとか、まだまだだなーとか、ほんとわがままだなーとか、周りに迷惑かけてんなーとか、自分をトコトンボコボコに責めたりもする(笑)
いつもそんな弱っちい自分と戦い続けてる。
でもさ、そんな自分と一生生きていく、って俺は決めたんだよ。
もうこいつを絶対に見離さない、って決めたの。

だから、自分のことを受け入れるようになったし、愛せるようにもなったし、やりたいことに挑戦させてやりたいと思うようになったし、周りに徹底的に与えてやろうって思えるようにもなった。
結局、志やギブギブギブっていうのも自己愛から生まれてくるもんなんだぜ。
それは、マスターベーションように自分のことばっかり考えてる不感症で自己中の連中とは違うからな?
真の自己愛は、結局利他愛にイコールすんだよ。
だから、「考え方が変われば~」なんてキモい一節に囚われる必要なんて全くない。
大事なのは自分の想念に気付き、解放し、自分を愛することだから。
そのためにいつも言ってる「自己の覚醒」を起こすことが何よりも大事。
他人の言うことばかりを信じるんじゃなくて、自分の感じたことを信じるんだ。
それをいつでも忘れないで。
人生楽笑!
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