いつも何度でも。

暗闇にほのかに灯るオレンジ色の豆電球。
嫌な思い出が一瞬、フラッシュバックする。
毎晩のように振るわれるオヤジの暴力。
まるでグローブのように分厚い手が振り下ろされる。
痛みに歪むおふくろの顔。
俺の体は、アザだらけだった。
ふと遠い過去が頭をよぎり、ズキン、と頬が痛む錯覚に襲われる。
当然、どこにもアザなんてない。
家に帰るとオヤジの靴があるかどうか、それをチェックするのが日課だった。
飲んだくれたオヤジが帰ってくると布団の中で息をひそめる俺と弟。
大きな張り手に飛ばされ、壁に叩きつけられる俺。
さんざん殴られて血まみれになったおふくろ。
オヤジに対する憎しみ、殺意が沸々とこみ上げてくる。
だが、俺はちっぽけだった。
オヤジに抵抗することもできず、おふくろを守ることもできず、精神的疾患を患い、命の安全の為、施設に預けられた。
オヤジが、憎かった。
オヤジを殺してやりたかった。
オヤジからおふくろを守れない自分の弱さを、何度も呪った。
3月30日。
そんな、どうしようもなかったオヤジの命日。
オヤジが亡くなってから2年が経った。
今日は、そんなオヤジと俺の話について書きたいと思います。
とても長いので、お時間がある時にお読み頂けましたら幸いです。
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俺のオヤジは、俺が中2の時、消息を絶った。
家を出て、それ以来ずっと再会することはなかった。
以来、俺は強さこそが全てだと思い、暴走族、裏社会へと道を踏み外していった……。
そして長い月日が経ち、俺もようやく表社会での活動にも慣れてきた時、一本の電話が鳴った。
「もしもし、加藤さんですか?あなたのお父さんが脳の病気で倒れました。
ほぼ寝たきりの状態です。親族で引き取って頂けませんか?」
頭をハンマーで殴られたかのような衝撃だった。
なんで、今さら。
ふざけんじゃねぇ。
今度こそ殺してやる。
はらわたが煮えくりかえるような想いが腹の中をグルグル回り、まるで溶岩のような熱い憎しみが込み上げてくる。
それと同時に過去の恐怖が鮮明に蘇る。
毎日のように暴力におびえる俺、
殴られるおふくろ。
その恐怖は身に刻まれた反射のようなものだった。
オヤジは大人になってからでもまだ憎しみの対象であり、恐怖の存在だった。
俺は、こみ上げる気持ちを殺し、静かな声で、
「分かりました。場所はどこですか?」
とだけ答えた。
オヤジを迎えに行く時、俺は腕っ節の強い信頼できる2人の後輩を連れて行くことにした。
オヤジを目の前に、尋常じゃなくなることが想像できたから。
ただ、思いっきり殴り倒してやろう!と心に固く近い、
幼少期から描いてきた復讐のイメージを何度も頭の中で再生していた。
ボロっちい木造のアパートの一室にオヤジは住んでいた。
玄関を開けて室内に入ると、白髪頭の弱々しい老人が背を向けてパイプ椅子に座っている。
——あれは誰だ?どこの老人だ?
目の前の人間がオヤジだと気付くまでに、しばらく時間がかかった。
「……オヤジか?」
返事はない。
かなり衰弱しているようで、まるで90歳を超える老人のようだった。
一体どのくらいたっただろう?
なんて声をかけたらいいのか?かける言葉が見つからなかった。
何十分にも、何時間にも思える時間が一瞬のうちに過ぎる。
「……オヤジ、今まで一体なにやってたんだよ?」
ようやく、言葉を振り絞るように訊ねる。
するとオヤジはゆっくりと顔を上げ、俺の顔を見て、照れくさそうにはにかみながら、
「本当にきてくれたんかぁ。」
と嬉しそうな笑顔で言った。
俺の中の憎しみが、殴り倒してやる!と固く誓っていた決心が、
まるで、風船のようにはじけた…
オヤジの弱々しい笑顔が、とても、とても重かった。
気がつくと、俺の目からは涙があふれていた。
オヤジを引き取るつもりなんて全くなかった。
俺にはいまの生活も、会社もある。
介護なんて、とても考えられなかった。
だけど——
「帰るべ。オヤジ。俺、住まい見つけるし。これから一緒にやろうや」
勝手に口から言葉がこぼれていた。
涙が止まらない。
「ごめんな。」
申し訳なさそうに、でも少し嬉しそうにオヤジは一言だけ答えた。
オヤジが生まれて初めて俺に言った、謝罪の言葉だった。
——もう、やめよう。オヤジを憎むのは。
こんなに弱ったオヤジを責めて一体何になるんだ…
心が大きく軋んだ。
すぐには受け入れることも、許すこともできなかったけど、
オヤジのことをもう許そうと決心した瞬間だった。
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俺はオヤジを引き取り、オヤジが今まで住んでいたアパートを引き払う為、荷物の整頓をしていた。
ほとんど私物のない無味乾燥な部屋。
生活感が全くなく、誰もいなければ空家と言われても分からないほどだった。
貯金はゼロ。所持金も数百円。
オヤジはこの16年間一体どうやって生活していたのだろう?
そんな疑問を浮かべながら整頓をしていると、一つのダンボール箱を見つけた。
中には、俺達兄弟の幼少期の写真がたくさん入っていた。
俺はそれまで自分の幼少期の写真を見たことがなかった。
おふくろからはなくなった、と聞かされていたし、俺みたいな家庭に家族や子どものころの写真なんてあるワケない、と思っていた。
でも、違った。
俺達兄弟の写真は…
オヤジが全部持っていっていたんだ。
写真の一枚一枚には几帳面な字で、
「秀視の七五三」
「秀視とお風呂」
と丁寧に書かれていた。
その後も出てくるたくさんの写真。
家族写真、結婚写真、俺達兄弟の写真……。
その一枚一枚に丁寧にコメントが添えられていた。
ホコリをかぶっていてもおかしくないようなダンボール箱。
だけど、そのダンボールにも、アルバムにも、ホコリの跡は全くなかった。
その時、俺は初めて知った。
——オヤジは、俺達を愛していたのかもしれない…
強烈に胸が締め付けられる想いだった。
ずっと家族を苦しめてきたオヤジ、
毎日のように暴力をふるっていたオヤジ、
俺達を捨てて出て行ったオヤジ、
——そんなオヤジが、俺達を愛していたのか……
俺は、ずっとずっと憎しみ続けてきた。
表社会に出てクリスチャンになるまでは、オヤジを殺すことが人生の目的の一つだった。
オヤジに再会する瞬間まで、殴り倒してやろうと心から思っていた。
オヤジのアルバムをめくるたび、胸が苦しくてたまらなかった。
もしかしたら、オヤジはただ愛し方が分からなかったのかもしれない。
おふくろのことも、俺達のことも。
本当は、オヤジが一番苦しかったのかもしれない。
**********************************************
オヤジを引き取り、弟と交互でオヤジの介護をする日々が始まった。
仕事で全国を飛び回りながらも、住まいと病院を行ったり来たりする日々が続いた。
1年ほどそんな生活を続けたが、オヤジの容体は悪化するばかりで、とうとう入院することが決まった。
出張で出ている時を除いては、ほとんど病院に通い、オヤジの世話をした。
手足を拭き、着替えさせ、水を飲ませてやり、話しかけた。
その時にはもう脊髄小脳変性症が進行していて、しゃべることはできなかったけど、
それでも話しかけずにはいられなかった。
「オヤジ、大丈夫か?どっか痛いところないか?」
正直、最初は気が重かった。
許すと決めたものの、オヤジへの憎しみは簡単には消せなかったし、
幼い頃の恐怖の記憶だって、ずっと頭に残っていた。
「なんで神様は殺意を持つほどに憎んだオヤジを俺の元へ導いたんだろう?」
そんな想いがグルグル頭の中を回っていた。
最初は介護をするのも、義務感が強かったと思う。
だけど、オヤジの手足に触れていくうちに気付いたんだ。
オヤジの手足や体つきが自分そっくりだということに。
やっぱり親子なんだなぁ。
俺はこの人から生まれてきたんだなぁ。
そんな想いを感じる度、少しずつ心の中の憎しみが癒されていった。
言葉はなかったけど、オヤジが必要としてくれているのが確かに感じられて、なんだか嬉しかった。
今まで空白だった時間を埋める、親子の絆を取り戻す、大切な時間だった。
俺とオヤジの闘病生活も4年目に入り、担当の医師からも、
「いつ容体が急変してもおかしくない状況です。覚悟しておいて下さい」
と告げられた。
俺も実はうすうす感じていた。
以来、俺は病状が悪化した、と聞くたびに沖縄にいようが北海道にいようが飛んで帰った。
オヤジの死期が近いことを感じていたから。
不思議なことにオヤジの死期が近づくにつれ、俺の体調も悪くなっていった。
まるで、看病の日々で取り戻した親子の絆が、俺にオヤジの容体を知らせてくれているようだった。
そして、2010年3月31日。
入院先の病室でオヤジは息を引き取った。
翌日の4月1日はオヤジの58歳の誕生日だった。
俺は最後の瞬間には立ち会えなかった。
それも、なんとなく分かっていたことだった。
オヤジが死んだ2日後。
葬儀が静かに行われた。
今までオヤジの顔をちゃんと触ったこともなかったけど、出棺の時、初めてオヤジの顔をちゃんと触った。
冷たかったけど、やっぱり、俺の肌によく似ていた。
火葬の直前、俺はオヤジの耳元でつぶやいた。
「今までごくろうさま。俺と弟の命を育ててくれてありがとう」
と。そして、もう一言。
「オヤジの分まで生きて、必ず、世の中や多くの人たちに必要とされる人間になるからな。」
ずっと、オヤジを恨み続けてエネルギーに変えてきた俺だけど、
これからはオヤジとの約束をエネルギーに変えて頑張っていこう。
腹の奥にどっしりと、大きな力が宿った瞬間だった。
幼少期からずっと続いてきたオヤジと俺との確執がようやく、終わった。
オヤジが俺の元に戻ってきてから始まった4年もの闘病生活。
それは、失った親子の絆を取り戻すために神様がくれた、
優しく、あたたかい、小さな贈りものだったのかもしれない。
最後にオヤジの看病ができて、本当に良かった。
**********************************************
2012年3月31日。
オヤジが死んでからもう2年が経った。
俺は毎年、この日にオヤジとの過去を振り返り、約束を思い出す。
今俺がこうやって生きていられるのも、活動ができるのも、おふくろとオヤジのお陰だ。
だから、必ず1年に1度、原点に返る。
俺を生んでくれてありがとう、
育ててくれてありがとう、って。
確かにオヤジはもういないかもしれないが、オヤジはいつだって俺の中に生きてる。
俺はオヤジの分まで生きて、必ず、世の中や多くの人たちに必要とされる人間になる。
それが、約束だから。
俺は少年更生をする時、必ず、親を巻き込む。
なぜなら、親子の絆が癒されていないと、真の自分の人生は歩めないからだ。
俺は29歳でオヤジと再会し、33歳ではじめて親子の絆を取り戻した。
親は自分のルーツだ。
原点だ。
親を否定する、ということは自分の半分を否定する、ということと同じことなんだよ。
だから、みんな。よく聞いてくれ。
親や子どもは愛でつながれたお互いにとって唯一の存在だ。
親だって、子どもだって、いつ何があるか分からない。
今回の震災でだって、たくさんの命が失われた。
だから、
ちゃんと、絆を取り戻してほしい。
愛を持ってつながってほしい。
大切な人に、「アナタのことが大切だよ」って伝えられることが、どれだけ幸せなことか、俺は知ってるから。
俺のように、憎しみや恨みの道へ生きるんじゃなくて、な。
心からそう願うよ。
アナタの心に愛の光が灯るよう、祈りを込めて。
最後に1曲、紹介させて頂きます。
「いつも何度でも」
歌詞も掲載しますので、お聞き頂けますと幸いです。
いつもブログをお読み下さる皆様、応援して下さる皆様、
本当にありがとうございます。
いつも長い記事を最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。
いつも被災地支援して頂いたり、シェアして頂いたり、
心から皆様のお力を感じています。
俺はこれからもずっと愛をメッセージし続けていきます。
何卒、引き続きお力添え頂けますと幸いです。
心から愛と感謝を込めて…
加藤 秀視
「いつも何度でも」


スクリーンが見れない方はこちら
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい
かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える
繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける
さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ
ラ ラ ラン ラン ラ ラ……
ラン ラン ラ ラン……
ラン ラン ラ ラ ラン……
ホ ホ ホ……
ル ル ル……
ル ル ル ル……
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう
かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう
閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される
はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに見つけられたから
ラ ラ ラン ラン ラ ラ……
ラン ラン ラ ラン……
ラン ラン ラ ラ ラン……
ホ ホ ホ……
ル ル ル……
ル ル ル ル……
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