はぁ?いいかげんにしろよ!

こんにちは。
加藤秀視です。(^ー^)
今回は、気になるニュースを見かけたので、俺の主観を書きます。
先日、大分の中学校で体罰の事件があった。
早速だが、以下の動画を見て欲しい。
http://www.youtube.com/watch?v=-azXEUyEqPc
あなたはどう感じた?
ヒドいよな。
はっきり言って、体罰(暴力)はクズがやること。
どんな事情があったのか?
この教師がどんな生い立ちなのか?
そんなものは知らないが、こんな体罰は絶対あってはならないことだ。
教育は、時には怒ることも叱ることも必要だ。
俺は教育でも少年更生でも、怒るときは怒るし叱るときは本気で叱る。
ただいいとこだけを伸ばす、とにかく褒める、我儘を受け入れるといった現場では何もできない、理想論者が提言するような教育はしない。
でも、だからといって怒鳴り散らしたり、暴力を振るえばいいってもんじゃない。
今回の大分の体罰なんて論外。
指導者として情けなすぎる。
相手は中学生だぞ?
大体、殴らなきゃ言うことを聞かせられない、っていうのは、
この指導者がなめられてる証だ。
口で言って、従わないから殴るわけだろ?
それはつまり、所詮言うことを聞かない程度の関係しか作ってこなかった、ってことだ。
「言うこと聞かないから叱る」
暴力はともかくとして、この理由自体は一見正しそうに聞こえるが、
そこに至るまでのプロセスが間違ってんだよ。
多くのメディアは体罰だのパワハラだの結果だけを見て騒ぐが、結果の中に解決の糸口はない。
そこに至るまでのプロセスに、原因と問題があるわけだ。
大体、問題児を預かる俺でさえ、殴ったことなんて片手で数えるほどしかない。
それも、裁判所で約束したことを反古にしたから、とか、覚せい剤に手を出して家族を裏切ってしまったとか、また犯罪に関わったから、とか、
本人の人生を考えたとき、絶対にしてはいけない!ことをしてしまったからだ。
そうでもしなきゃまた少年院や刑務所に入ることになって、結局苦しむのは自分だから。
知ってるか?
軽犯罪を犯して刑務所に入った成人の約40%が、出所後5年以内にまた刑務所に戻ってくるんだぜ?
世の中には絶対にやっちゃいけないことがある。
そのくらいのレベルで道を踏み外しかけたときじゃなけりゃ、俺は無闇矢鱈に手をあげたりなんかしない。
暴力は理想論者の言うよう、確かによくない。
でも、怒ったり叱ったりするときは、必ずそこには本気で向かい合う指導者の姿勢や、相手に対する深い愛がなけりゃいけない。
相手を本当に想う気持ちから、怒り、叱るんだ。
世の中の大半の怒りや暴力は、自分のために振るわれてる。
サディズムと一緒だ。
カッとしたから、言うことを聞かなかったから、うるさかったから……。
そんなのは論外だ。
愛がなけりゃ、指導者に怒る資格なんてない。
例えば、自分の子どもの箸の持ち方が間違ってたら言うけど、他人の子どもには言わないだろ。
自分の子どもには、恥ずかしい思いをしてほしくなかったり、将来デメリットがあるから指導するんだよな。
愛があるから言うんだ。でも他人の子どもには言わない人が多い。
俺は相手が子どもであれば、誰にでも言う。
どんな子どもたちにも、良くなって欲しいもんな。
ここで話を戻して、
じゃあなぜ口で言っても言うことを聞かないのか?
子ども達になめられるのか?
ちょっと、ここでイメージして欲しい。
シマウマが、ライオンに襲いかかったりすると思うかい?
逆はあっても、シマウマからは無いだろ?(笑)
もしあったら、そのシマウマは相当ツワモノだぜ?
まあ、想像できないよな。(笑)
その理由は、自分が敵わないことを知っているからだ。
まあ人間社会に置き換えていえば、威厳や風格があるからだな。
結局、人も自分が尊敬する人や好きな人の言うことしか聞かない、ってことだ。
人間って生き物は、自分に厳しく生きていると自然と、威厳や風格や愛が滲み出てくる。
そういう人は常に自己の改善を繰り返し、自分を高めようと努力しているから、周囲から尊敬されてる。
対して暴力を振るう人は、周囲から怖れられてはいるけど尊敬はされていない。
尊敬される人は自分を変えようとし、怖れを与える人は周囲を変えようとする。
今回の体罰だって、前回の柔道の問題だって、自分が背中で示そうとするのではなく、人ばかり変えようとしているだろ?
こういう人間は、殴る自分が悪いなんて微塵とも思っていないんだ。
相手を変えることばかりにフォーカスしているから、
相手が100%悪いとマジで思ってるから暴力をするんだ。
だから、自身の改善が全くない。
自分のやり方やあり方、言葉、行動、態度が変わらなければ決して周りも変わってはくれない。
その結果、また相手を変えようとして果てには暴力を振るう。
そりゃ恐怖でコントロールすれば、一時的には変わったように見えるよ。
だが、本質はなにも変わっちゃいない。
ただ、強制させられてるだけに過ぎない。
なんかまた、教育法が変わるような動きを見せてるらしいが、ルールで縛ろうとしたって絶対にうまくいかないぜ?
暴力や体罰、行き過ぎた指導を法律で縛ったって、また子ども達になめられるのが関の山だ。
なぜなら、本当に正しい答えは、ルールに照らし合わせて導き出されるのではなく、その当事者同士の心の中にしかないから。
ただあれがダメ、これがダメ、なんてルールで縛った結果何が起きたかもう知ってるだろ?
子ども側がパワハラだのPTAに言いつけるだのつけあがり、
親もクラスを変えろだの運動会で競争させるなだの、モンスターペアレンツ化したのは記憶に新しいだろうが。
教育や子育てにルールなんてない。
よく子どもはこう育てろ!みたいなんがあるけど、そんな唯一の絶対的な答えなんて存在しないんだ。
愛を持って本気で向き合うこと、そして、どんな生徒でも対応できる指導力を身につけることが教育者には求められているんだよ。
今、学校教育も昔の詰め込み教育に戻りつつある。
子ども達や親の不満が大きくなってくれば、当然その矛先は学校に向くだろう。
結果、先生が苦しみ、また負のスパイラルに陥る。
多くの先生が、怒り方も、叱り方も、褒め方も、何も知らない。
何なら俺が直接指導してやりたいくらいだ。
こっちは、誰もが手に負えなかった非行少年少女を暴力もほぼ使わず何百人も社会に返してきたんだ。
にも関わらず、どうして大した問題もない、いい子を指導するのに暴力が必要なんだ?
世の中には解決困難な問題がたくさんある。
沖縄の基地の問題や、政治の問題、少子高齢化の問題……。
でも教育は違うだろ。
いじめだって、自殺だって、暴力だって、誰が見てもダメだって分かるだろ!
いじめや自殺や暴力がいいことだって思ってるやつなんかいるのか?
みんな分かってるならちゃんと失くそうぜ。本当に。
簡単なことだろ。
誰だって答えが分かってんだから。
見て見ぬ振りすんのはやめようぜ。
今回の大分の問題もそうだが、虐待や、暴力は絶対あってはいけないことだ。
こういった問題を解決する為にも、法律を変えるのではなく、
我々大人がリーダーとなって、指導や教育のプロセスを根本的に変えていく必要があるだろう。
今日はたまたまニュースを見かけたから、俺なりの意見を書かせてもらった。
賛否両論あるだろうが、自由に受け止めてもらえたらと思う。
こんな悲しみが一つでも多く日本から消えるよう、俺ももっともっと活動を広げていく。
氣愛!!
加藤 秀視
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