「どうでもいい」と思えるくらいにギブできてるか?

こんにちは。
加藤秀視です。
4月1日は死んだ親父の誕生日でもあり葬儀の日だった。
そして、親父に新たな人生を誓った始まりの日でもあるので改めてよろしくお願いします、ということで。
新たにスタートしてみます。
おれはまだ38の道半ば。
何かがわかったようでまだ何もわかってないかもしれないが、ここまで生きてきて本当に人や周りに恵まれてるなって思うし、運が良いなと思うことが何度も何度もあった。
瞬間的な部分で救われたことやギリギリのところで良い判断ができたこと、人に用いてもらえたこと、重要なタイミングで「こういうことか!」と心底感じれたこと、本当に色々あった。
振り返ることはあまり好きじゃないが、こうして振り返ってみると良いことも悪いことも本当に全部含めて「運がいいな」とか「強力な何かに救われてるな」とか「やっぱり引きが強いな」って、心底思う。
なぜそうなったのか?って考えると、答えは本当にシンプルで。
それは、いつも誰かと組んだら必ずその組んだ人を勝たせようとしてきたから。
これは綺麗事でもなんでもなくて。むしろそうすることでしか自分の存在価値を認めることができなかった。
それは今でも同じかもしれない。
自分がヤンチャしてた時もビジネスに関しても、おれはとにかく人を勝たせようとしてきた。
確かに自分の不甲斐なさで勝たせることができなかったこともあるが、根底はいつも同じ。
いまだって人を勝たせることが一番大事で価値あることだと思ってるし、ある意味人を勝たせることが自分を勝たせることだと思ってる。
そもそも何でも自分の為で「自分が勝ちたい自分が勝ちたい」って人は大して頑張れない人が多いし、もっと言えば自分だけ勝ったって、意味はあったとしても本当の喜びや豊かさはないんだよ。
人を勝たせるからこそ、そこに純粋なエネルギーが発生していくし、そこにひとつの肯定的な世界や常識ができるし、そこにひとつの信頼や自己愛が確立するわけだから。
おれは正直なところ最初「ギブすることってできないな」って思ってた。
なぜかというと、ギブしても自分にテイクが返ってくるイメージができなかったから。
だからギブできない自分がいたし、ギブできる人は経済的にも精神的にも絶対にゆとりがある人で、おれとは次元が違う人だと思っていた。
おれだってそういう余裕があればギブしてえよ、って思ってた。
でも次第にわかってきたのは、やっぱりギブでしか本当のテイクはないってこと。
もちろん、”誰にギブをするか”ってことをちゃんと見極めないとそのギブはただの自己満で余計なお世話になっちまうことだってある。
選ぶ心と目が純粋でなければ、どんなにギブしてもそれは返ってこないから。
だから好きな人、勝たせたい人にギブをし続けることが大事。
やっぱり自分が好きな人、コミットしたい人、自分が決めた人にギブし続けるってことは自動的な成長になる。
ギブはどんな形でさえ自動的な成長を成す。
そう思えば、返ってくる返ってこないってのもどうでもいいってこと。
これは投げやりでも開き直りでも粗大でも雑でもなんでもなくて、丁寧に考えてもどうでもいい。
“どうでもいい”、それがとっても大事だなとおれは思っちょる。
もちろんその人のことをいつまでも「この人だ!」って思えるとは限らないしな。
でも、その瞬間だけでも思えたならギブし続けることが大事。
例えば恋愛でもそうだけど、ギブし続ける。
ビジネスでもそうだけど、ギブし続ける。
仮にテイクがないとしても、ギブした人間って絶対に強い。
なぜならこの世の中はテイクを求めてる人間ばっかりで溢れてるから。
だからこそギブし続けてる人間だけが成長していくし、逆を言えばテイクを求めてる人間っていうのは、不信とか疑い、愚痴、不満ばかり。
ぜんぜん成長してないし、不感症さ、臆病さだけが増す一方。
依存の愛に支配され、自己の愛も感じることすらできない。
ギブし続けるから人より痛みを何倍も繊細に感じるし、人より喜びを何倍も繊細に感じるし、何百倍っていう愛を感じられると思うんだよね。
色々考えるとやっぱり、おれはいつもいつも自分なりにギブし続けてきた。
自分なりにギブし続けて、それが例えうまくいかなかったとしてもその瞬間だけはギブし続け、一緒にいる間だけでもギブし続けることを徹底的にやってきた。
たとえ誰に裏切られても裏切らねえよおれは。
もうひとつは、決めたことをなにがなんでもやり続けてきた。
だから例えば「~をやる」「~をどうする」「いつまでにこれをやる」って決める。
決めたら食らいつき続ける。
よく、「もういいです」とか「やめます」とかって言う人がいるけど、そういうのは無いなっておれは思う。
手の痛さってのは掴み続けた人だからこそわかるもの。
掴み続けた結果として、手の限界がわかるわけだよね。
でも多くの人は、掴んでもないくせに放してしまう。
掴んでもないくせに掴んだ気になって「もういいです」とか「もうやめます」とか言ってしまう。
「じゃあお前どこまでやったの?」と。
「どこまで本当に掴み続けたの?」と。

よく有名な経営者が「撤退しろ」とか言うが、撤退するってのは手が切れてしまいそうなほど掴み続けた人だからできる話であって、これ以上掴み続けたら自分の手や仲間の手が取れてしまうって状況だからこそ放すことの重要性が出てくるわけ。
そもそも最初から掴んでもないくせに手放すっていうのは、あり得ないんだよね。
なぜおれがいま引きが強いのか、なぜ色んな人に恵まれていくのか、なぜ多くの人に用いられるのかって考えると、やっぱり若い頃からギブをし続けることができたからなんだよ。
ギブをし続けたから誰よりも繊細に学べた、誰よりも繊細に感じることができた、誰よりも自分が勉強になった。それが自分の成長に繋がった。
もうひとつは、絶対に最後まで放さない、諦めない、自分から手を放さないってことをやり続けた。
その結果、放すことの意味とか、重要性とか、放すことの大切さもわかった。
おれはそういうのが最も大切な根幹じゃないかなと思ってる。
世の中色々見てると、ギブし続けないで自分になにかしてほしいとか、本当にそんなやつばっかり。
途中で平気で諦めて、平気で途中で手を放しちゃうやつばっかり。
しかも、手を放したことをまるで正論のように言うやつばっかりなんだよね。
でもそんな人はそもそも純粋じゃないから、いつまで経っても勝てるわけがない。
誰も応援しないし力にさえならんよ。
そういう純粋じゃない人は勝てないんだよね、やっぱり。
そもそも自分の生命に生きてないし、生命に生きるっていうのはそういうことじゃないんだよね、っておれは思います。
おれは今後も自分の引きがさらに強くなるかどうかはわからないが、ただ今後もギブし続けることがおれの中での優先なことだし、諦めずに最後まで掴み続けていくつもり。
掴む手があり続ける限り。
そして重要なお知らせ。
 
今月、パワーパーソン説明会を要望にお応えして特別に追加開催することになった。
このパワーパーソン養成プログラムでは、ギブし続けた後の真のテイクとは何か?諦めないエネルギーや生き様の根幹はどこにあるのか?成功する為の土台とは?その本質までしっかりと体感してもらえるだろう。
4月14日(火)仙台、15日(水)東京、16日(木)静岡での説明会が今回ラストチャンスになるので、絶対にこの機会を逃さないようにしてください。
http://kentanagakura.com/katoshushi/power-person/
 
あと、しばらくツイッターは使ってなかったんだが、これから歴史に残りそうな言葉をつぶやいていくことにした(笑)のでよかったらフォローしてほしい。
そしてソフトクリームの写真を残しておくためにインスタグラムも始めてみたので、興味のある方はフォローしてちょ♪
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