忘れちゃいけない大切なもの。

こんにちは。
加藤秀視です。(^ー^)
今日は、被災地からの2冊目の出版のご案内です。
前回のブログでもお知らせ致しましたが、
実は来週の2月19日に、東北復興サポートセンター「Hamanasu」から2冊目の書籍が出版されます。
その名も「2年目の3.11 南三陸町からの手紙」
この本は、被災された南三陸町の皆様、被災地支援に携わった皆様から、
震災から2年が経とうとしている今だからこそ伝えたいメッセージを集めた1冊です。
昨年出版した「南三陸町からの手紙」と同じ形式の書籍です。
もうすぐ震災から2年が経とうとしています。
震災はもう過去のこととなり、毎年3月11日には黙祷を捧げる、それが当たり前になりつつあるのかもしれません。
メディアでも放送されなくなった被災地の現状は、もはや知ることの方が困難な状況になってしまいました。
ですが、それでも被災地は復興していないんです。
まだ、震災は終わっていないんです。
いくら被災地がメディアで取り上げられなくても、私達の意識が薄れようとも、被災地の現状は変わりません。
地道に復興に向かう被災地は力強い反面、多くの悲しみを抱えています。
今回の書籍には、そんなリアルな声がたくさん掲載されています。
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あの日から1年9ヶ月が経過したが、「復興」はおろか「復旧」すら程遠いと言える。
ガレキの多くは処理場に運ばれたが、至る所で基礎が堆く積まれている。
主要産業であった漁業は、成長の早いワカメ以外はまだまだこれからといったところ。
見通しが立たない町の未来を見かねてか、町外へ移転する方が後を絶たない。
いつか南三陸に戻りたいという想いはあっても、なかなか希望を見出せない、というのがこの町の現状ではないだろうか。
(30代男性)
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これが、被災地の本音なんです。
被災地は確実に復興に向かっている、それは間違いないだろう。
でも、やっぱりまだまだ問題は山積みです。
こんな風に被災地の現状を叫んでも、実感しにくいし、届きにくいことは重々承知しています。
それでも、被災地の現状を伝えていかなければ何も変わらないから、こうやって出版します。
少しでも多くの人に届くように、ブログやフェイスブックだけでなく本や講演会でも伝えます。
なぜなら、被災地はまだ支援を必要としているから。
今回の書籍に掲載されているメッセージは、全て本人達の自発的なメッセージです。
みんな伝えたいからメッセージしているんです。
震災当初や1年後とは違ったメッセージが、そこにはたくさんあります。
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おかあさん
不思議な話があるんで聞いて下さいね。
あの日から何度もおかあさんの夢を見ました。
一緒に買い物に行っていたり、まだ私が子どもでおかあさんに怒られていたり……。
それでね、朝起きると、いつも泣いていたんです。
でもね、ある日からあなたは夢に出てくるのをやめてしまいました。
「さみしい」なんて言ったら怒られるでしょうね。
おかあさん、私ね、来春、「母親」になるんだよ。
病院の先生には聞いてないけど、きっと女の子のような気がする。
おかあさんに似て周りを明るくしてくれるような元気な子だといいな。
笑うかもしれないけど、おかあさんにもう少しで会えるような気がします。
(30代女性)
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被災地も2年経つと大きく変わります。
同じように被災された方の心境も大きく変わります。
そして、私達の気持ちも大きく変わります。
被災地は、誰かが復興しなければ決して復興しません。
被災地に住む人達は、嫌でも長い復興の道のりを歩まなければなりません。
しかし、私達は被災地を忘れても、自分の人生には何も問題ありません。
だから、私達は伝えていかなければいけないんです。
戦争や原爆は過去のことですが、被災地は現在進行形の問題なんです。
私達の支援は、被災地の皆様に届きます。
私達が行なった支援は、復興の礎として被災地と皆様の心に刻まれています。
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まほうつかいのおっちゃん いつもかわいくしてくれてありがとう。
おおきくなったら わたしも まほうつかいのおっちゃんみたいに
かみをきったり きれいにしてあげるひとになりたい。
そのときにはおしえてね。
(5歳女の子)
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震災を経験した子ども達は、たくさんの大人達を見ています。
必死で家族や仲間を守った大人達、悲しみに暮れる人々、支援に来て下さったボランティアの皆様……。
彼ら彼女らは、その小さな背中で”震災”という大きな傷跡を背負い、未来をつくっていきます。
Hamanasu学習教室の生徒の中にも、太ももまで水に浸かった子や、人が流されていくのをその目で見た子がいます。
中には、そんな経験から消防士になることを志し、今年受験に受かった生徒もいます。

そんな彼ら彼女らの背中を少しでも押してあげられるよう、被災地の復興を実現するのが、私達大人の役目です。
そしてそれは、東北に住む人達だけでなく日本国民全員の役割だと、俺は思うんです。
だって、今回たまたま東北で地震が起きただけで、もしかしたら明日は我が身かもしれないから。
それに、被災地の支援ってそんなに難しいものじゃありません。
確かにできることは限られているかもしれないけど、
被災地のことを真剣に考え、発信すること、行動することが、一人一人の意識を高め、支援の輪を広げていくことになると思うから。
3月11日に黙祷ができるなら、今すぐ被災地のことを考えることだって、誰にでもできるはずだから。
震災当初、俺は無我夢中で被災地に入り、多くの人に支援を求めてきました。
下記は、震災が起きてすぐ皆様にお伝えしたメッセージです。
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このブログをお読みの皆様へ
初めましての方は、初めまして。
そうでない方は、こんにちは。
いつもお世話になっております。加藤秀視です。
僕は今、東日本大震災の復興支援を行なっております。
3月11日14時46分。
僕は千葉に向かう途中で、首都高速の笠井ジャンクション近くの橋の上を走っていました。
まるで映画のように道路が縦に揺れ、橋が軋みました。
ちょうど橋の上を走っていた為、最悪川の中に飛び込むことさえ考えました。
テレビを見ると、マグニチュード9.0、震度7。愕然としました。
大きな津波が街を呑み込む映像が何度も放送され、全てが濁流に呑まれていく。
余震もやむ気配が全くありませんでした。
いても立ってもいられず、仕事の予定を全てキャンセルし、地震のあった翌々日には支援活動を始めて、被災地に向かいました。
何度も家族や周囲の人に止められましたが、こんなにもたくさんの命が奪われ、また奪われようとしていることを考えると、もう動かずにはいられな かったのです。
被災地の現状はメディアで取り上げているものより圧倒的にひどく、それはもう戦争や原爆レベルの被害でした。
家もビルも基礎から倒れ、全て波に呑み込まれて残っているものは何もありません。
あり得ない高さの場所で車や船がひっくり返り、塩や泥やいろんなものが混ざった異臭が周囲を漂っていました。
ただただ、唖然とするしかありませんでした。
そんな状況の被災地を救うためには、僕達の力だけではとても無理でした。
そこで、皆様から物資や義援金を募り、それを直接被災地に届けることにしました。
物資を何トンもトラックに積み、実際物資を避難所に届けに行くと、水一杯で涙を流すおばあさんやおにぎり一個に感激する子どもなど、本当に物資が 足りていませんでした。
でも、それでも希望を持って必死で頑張っている皆様や、家族の安否確認ができて涙を流している方を見て、僕も涙が止まりませんでした。
そんな中、何千食もの炊き出しを行ない、様々な物資を届けていく中で、自分達の活動が、皆様の想いのこもった物資が、確実に命をつないでいること を実感しました。
今でこそ大きな避難所にはようやく物資が集まり始めましたが、震災直後は本当に悲惨な状況でした。
しかし、小さな集落や過疎地、原発付近の地域には物資が回っておらず、まだまだ支援が必要です。
特にいわき市などの原発付近の地域では、過剰な悪評が広がり、物資が全くと言っていいほど届いていません。
先日、行政と連携し、ようやく物資を届けるパイプラインが出来上がりました。
今は毎日4トン分の食糧をいわき市に運び続けています。
正直、まだまだ問題は山積みです。
略奪、強姦、強盗、汚物処理、感染症、被爆……。
これからより一層、皆様の力が必要になってくると思います。
今回の震災の被害は甚大で、復興には膨大な時間がかかると思いますが、僕は悲観的になる必要はないと思っています。
かつてない大きな災害にも負けじと、みんなで手を取り合って頑張っておられる被災地の方々。
少しでも多くの命を救おうと物資や義援金の支援をして下さる心優しい皆様。
何か自分にできることはないか、と募金活動やメッセージ集めを行なう学生。
こんな時だからこそ、今の日本を支えるんだと、より一層仕事や学業に打ち込む人々。
みんな、誰かを支える為に必死で頑張っている。
この想いがあれば必ず日本は復興すると、僕は思っている。
以前よりももっと強く、優しい日本になると信じている。
だから、皆様には今を大切に生きて欲しいと思う。
物資を送ろうと思う方には、物資を送ってもらえたら嬉しいし、義援金を送ろうと思う方には、義援金を送って頂けたら嬉しい。
応援メッセージを贈るんだ!という方には、そのメッセージを送ってほしいし、今は力を蓄えるんだという方には、全力で力をつけてほしい。
今はメディアでも取り上げられているけど、この震災の騒ぎも3ヶ月もしたら落ち着くと思う。
だけど、忘れないで欲しい。
地震が起きた時、誰かのために何かをしようと想ったその気持ちを、今を大切に生きよう思ったその気持ちを。
僕はこれからも、僕にできることをしていきます。
僕にできることは本当に小さなことだけど、皆様の大きな想いを被災地に届けられるなら、それで救われる命があるのなら、ずっと続けていきたいと思 います。
本当に皆様には感謝しかありません。
最後になりましたが、この「加藤秀視オフィシャルブログ」をお読み頂いている皆様にも、感謝の言葉を述べさせて頂きたいと思います。
僕の拙いブログ見て下さってありがとう。
いつも応援して下さってありがとう。
いつの日かお会いできるのを楽しみにしております。
加藤秀視
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この気持ちは今でも全く変わっていません。
できることをできる限り頑張って欲しい、誰かのことを想う気持ちを忘れないで欲しい、被災地のことを過去にしないで欲しい。
俺は、一貫して今まで同じメッセージを伝えてきました。
そして、今も支援を続けています。
どんどん形は変わっていくと思いますが、これからも被災地の支援は続けていきます。
資金は正直厳しく、何度も頭を悩ませ、支援をやめようと考えたこともありましたが、これからも”できる限り”続けていきたいと思っています。
もし皆様が被災地の支援に協力しよう、と思って頂けるなら、ぜひ支援金のご支援を頂けますと幸いです。
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ご支援はこちらからお願い致します。
チャリティー講演会の開催や協賛も募集しています。
http://www.japangenkijyuku.com/donation/
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ストレートな物言いですが、支援に資金は必要不可欠です。
そして、俺も資金の続く限りでしか支援を行なえません。
だから、皆様のお力をお借りしたいのです。
本当に正直に言えば、この時期に出版を行なうのも、支援のお願いをするのも、
震災から2年という節目が近付き、震災への意識が上がってくるだろう、と思ってです。
汚い、と言う人もいるかもしれませんが、そうやって工夫しなければ、
被災地の声も届かないし、支援して下さる方も現れないからです。
俺は、”できること”を全力でやります。
ただ最善を尽くすだけです。

どうか、被災地の声が、想いが、皆様に届くことを心より願っています。
いつもご支援下さる皆様、応援下さる皆様、
本当にありがとうございます。
最近はフェイスブックでの投稿がメインになり、
ブログの投稿が少なくなってしまいました。
伝えたいメッセージはフェイスブックでたくさん発信していますので、
こちらもご覧頂けましたら幸いです。
http://www.facebook.com/shushi.kato
皆様の支援と声援に支えられています。
心より感謝致します。
何卒、これからもよろしくお願い致します。
心から愛と感謝を込めて。
加藤 秀視
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◆東北復興サポートセンター「Hamanasu」
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「加藤秀視 東日本大震災復興支援プロジェクト」
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